EL-Cadena blog

独立するための準備と想いを綴る。

不平不満から進化や革命が生まれる(と信じる)

キャンペーンお題「#この1年の変化」として、様々な事を考察して記録してきた中から四つ目を上げようと思います。 この考察は、昨年9月頃に記録したものです。自分の職場や、周りで働く人なんかに不満を感じていたんでしょうね笑

 

平坦でないこと、心が穏やかでないことを「不平」といい、心に満たないこと、満足していないことを「不満」という。そして一般的に、平等ではないことに対して満足できないという感情を「不平不満」と表現したりするが、否定的な感情として捉えられることが多いと感じている。しかし、「不平不満」という言葉は、本当に否定的と考えるべき感情なのだろうか?

私自身、頻繁に不平不満を感じたり、口にしたりすることがある。それは単純に自分の置かれている状況に満足できないとか、評価されないことが気に入らないといった感情ではなく、常々自分のことを第三者的に見つめたり、考えたりした上で納得のいかない場合に発せられていると思っている。ただただ、現状に対して文句を言っているだけであれば、それは「不平不満」ではなく、いわゆる「愚痴」と呼ぶべき行為であり、「愚痴」とは言っても仕方ないことを言って嘆く事で、心性が愚かで、一切の道理に暗いことと称されている。では、「愚痴」と「不平不満」の違いはどこにあるのか、それは置かれている状況や立場、起きている現象についてきちんと考察がなされているか否かによって分かれていくのだと考える。世の中すべからく平等であるかというと、それは間違いなくあり得ない状況であり、不平等が普通であることは誰もが知っている。そしてそれらの状況に対して、ただただ文句を言っていれば、それは「愚痴」をこぼすという愚かな行為に成り果ててしまう。では、その不平等な状況を変えるために、少しでも平等な状況に近づけるために、まずは現状を分析し、どのような事象が起きているか見極めた上で、何らかの計画を立て、不平等な状況を少しでも変えていくといった行動に移した時、それでも簡単には平等な状況に変えることはできず、現状は変わらないかもしれないが、そこまでの行動を取ることによって、当人は確実に成長することとなると思う。それは、現状を把握する能力、考察力、分析力、計画立案能力、実行力、これらもしくは、さらに別な能力も含めて全てを駆使しなければ状況を変えることはできないからだ。そしてこれが上手くいった場合に、その結果は、進化や革命となって、世間に認められることとなる。

 

今回も少し長くなったので、ここでいったん切りたいと思います。